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近代セールス連載(2009年2月1日号)(1/2)

 雑誌『近代セールス』における、弊社会長坂本桂一の連載をご紹介いたします。
※近代セールス社の了解を得て、一部の回をWebで全文公開しています

連載「成功企業・ブレイクスルーの瞬間」

   ビジネスの世界では、市場を一変するような際立った成功が起きることがある。 それらの成功は偶然の所産ではなく、その結果を左右した決断の瞬間が存在する。 場合によっては本人の意図と反した結果を招き、それが未来を大きく変えたというケースもあるが…。
   本連載では、そうした稀有な成功を成し遂げた企業等に関して、 その分岐点となった「ブレイクスルー」の瞬間を紹介していく。

〈第2回・ミノルタカメラ(現・コニカミノルタ)〉

従来の常識、過去の資産を捨て一眼レフカメラに革命を起こす

 

国内のカメラ産業は、第二次大戦以前、軍事産業としてその産声をあげた。 光学技術は当時最先端の軍事技術であり、国策による強化が図られた。 そして終戦を迎えると、その技術者たちが民生へと転換。 多くのカメラメーカーが生まれることとなった。

しかし、当時世界のカメラ市場を席巻していたのはドイツメーカーであった。 ライツ社(当時)のライカや、ツァイス・イコン社(当時)のコンタックスなど、 レンジファインダー方式と言われるカメラが世界の主流となっていた。

 

日本メーカーの転機となったのは、1950年からの朝鮮戦争である。 軍事物資の補給地として日本は特需に沸いた。 戦争の記録に必要なカメラも、遠く欧州を離れた極東の戦場では修理や補給などが間に合わないとして、 日本メーカーのカメラが注目され、世界に認知されるきっかけとなった。

それでも、レンジファインダーカメラ市場では、 ドイツ勢がいまだ圧倒的強さと技術優位をもっていた。 その決定版ともいえるライカM3が1954年に発売されると、 日本のカメラメーカーは戦略の転換を余儀なくされる。 レンジファインダー方式ではなく、一眼レフ方式のカメラへの注力。 彼らは、ドイツ勢と直接戦わずにすむ新しい市場を求めたのである。

当時一眼レフ方式は、サイズを小さくできない、 撮影中は対象が見えないなど、機構的な問題を多数抱え、 プロの実用に足るカメラとは認められていなかった。 しかし、この市場に賭けた日本勢は、細かな改良を重ね、市場を拡大。 ついに、1962年に世界のカメラ生産量においてドイツ勢を抜き去る。 こうして、日本のカメラ産業は世界の主役へと躍り出る。

 

●まったく新しいアプローチで従来のタブーに挑戦●

国内のカメラ市場を牽引したのは、国策企業として誕生し、 プロユースに強かった日本光学(現ニコン)と、民生出身のキヤノンカメラ(現キヤノン)である。 この2社が抜き出ており、ミノルタカメラ(現・コニカミノルタ。以降ミノルタと表記)含む他3社は それぞれ特色を出そうとしながらも、シェア的には苦戦を続けていた。

やがて、80年代を迎えると、 一眼レフ市場もコンパクトカメラなどに押され徐々に成長が鈍化、縮小を始める。 そこで、シェア下位に位置し、危機感が強かったミノルタが挑戦したのが、AF(オー トフォーカス…自動焦点)カメラの開発であった。

すでに数年前よりAF一眼レフカメラは市販されていたが、 当初のAF一眼レフカメラはモーターと測距機能をレンズ内に搭載し、 レンズ内で距離を図りピントをあわせていくもので、ピント合わせ の時間が遅いうえ、レンズ自体の重量も極めて重く、暗い所で使え ないなどの難点があった。

また、レンズ交換を行うためには、高額のモーター内蔵レンズを複数購入する必要があった。

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